テルマ巡礼 第二回 生きているロンチェンパ

 ロンチェンパ(1308-1364)は長いことカンリ・トゥカルを瞑想の場所と定めていたが、 歳の頃から数年間そこを去って、モン渓谷のブムタン(現在の東ブータン)地方に、滞在することになった。当時モンゴルの威力を背景にして、中央チベットで権力を握ったタイシトゥ(大司徒の意味、この称号を彼は元朝からもらった)・チャンチュプ・ギェンツェン(1302-1364)によるニンマ派への弾圧を逃れて、はるばるこの南の渓谷に、避難の場所を見いだしたのである。

 彼がモン・ブムタンを亡命の地に選んだのは、はるか昔からこの土地が、北西インドのクル渓谷と並ぶ「カンドゥ・リン(女神の国)」として有名であり、しかもかってパドマサンバヴァによって、ここが『カンドゥ・ニンティク』の教えの出現地として予言されていたことによる。ロンチェンパは当時はまだ未開地であったこの地に、サムテンリン寺とタルパリン寺を建て、ブータンの人々にゾクチェンの教えを伝えた。

 いまも麓の村の人々は、ロンチェンパについての多くの伝承が伝えられている。村の人々はまるで彼がまだそこに生きているかのような臨場感をもって、それを語り続けているのだ。たとえば、それはこんな風に語られる。

 四千メートル近い山の中腹に建つタルパリン寺(写真1)にたどり着いた私は、さっそく麓の村人の案内で、寺のまわりの散策をはじめた。細い山道を息を切らしながら登っていくと、簡単なゴム長靴をはいただけのその人は、すでに遠くまでたどり着いて、涼しい顔をして、私に道端にえぐられた小さな穴(写真2)を指さしながら、私を手招きしていた。ようやく私がそこにたどり着くと、彼はいつもと変わらない口調で、こう語りだすのだった。

 「ここに、ほれ、ここの穴の中にロンチェンパ様が座って、弟子を一人一人呼んで、自分の書いた本の内容を、詳しく教えてやったっちゅうよ。一人一人ていねいに、一時間も二時間もかけて、相手が完全に理解するまで、教えてやったそうだ。一人がすむともう一人と、大変な仕事だったろうけんども、ロンチェンパ様はもともと家の外で過ごすのがお好きだったから、少しもお疲れになることもなく、親切に弟子たちに教えてくれたんだそうだ。おかげで、ブムタンにはゾクチェンちゅうとても程度の高い教えが、しっかり根づいて、ロンチェンパ様がチベットに戻ってしまわれてからも、少しも途切れることなく、伝えられることになったっちゅうよ」。

 そしてこの男は、ここで少し声を落として、こう付け加えることも忘れなかった 「教えばっかしじゃあなくて、ロンチェンパ様はブムタンで幾人かのご子孫をも、お残しになったとも言うな」。

 私がその話を聞いてニコニコしていると、これは大丈夫そうだと思ったらしく、彼はさっきの話の続きをまたはじめるのだった。

 「あるとき、いつものようにロンチェンパ様がここに座って、弟子の一人に菩薩の道を教えていらっしゃるときのことだった。突然ロンチェンパ様の座っていたあたりにだけ、突風が吹いてきて、手にしていたお経の一頁を風に巻き上げてしまったんだ。ロンチェンパ様の著したそのお経は、風に運ばれて、あそこの、ほれ、向こうに見えるあの松の木まで運ばれていった。そして、驚いたことに、木にひっかかったお経の紙が、そこでぼっと火を放って燃えだしたっちゅうだ。その火はいつまでも消えなかった。驚いた寺の者たちが見守っていると、あたりが真っ暗になっても燃え続け、とうとう一晩中燃えて、明け方やっと消えていった。この一部始終を見ていたロンチェンパ様は、うれしそうに、こうおっしゃったっちゅうよ。あれは夜叉(ヌウイン)の仕業だ。私が毎日ああやって教えているのを聞いていて、すっかりうれしくなった夜叉が、ああやって自分の喜びを、私に知らせているんだ。まあ、そんな話はまだまだいっぱいある。どれ、向こうの岩のあたりにいくじゃん。そこではロンチェンパ様はな・・・」

 この話を聞きながら、私は全身が総毛だってくるような、深い驚きの感覚につつまれていた。何百年へても、まだそこに生きたロンチェンパが座って教えを語っているという、なまなましい臨在感が、あたりにはみなぎり、そこにある土や植物や風や鳥が、「知っているよ。覚えているよ。ぼくらはあのお方がそこに座って、存在のありのままについて語っていたのを、よく覚えているよ」と、語りかけてくるような感覚なのだ。

 おそらくはこの生きた臨在感なのである。ニンマ派の教えが冷たい学問や硬直した知識に陥ることなく、今日までダイナミックで創造的な生命を保ち続けてきた理由は、時空の隔たりを越えて連続して流れるものに対する、みずみずしい感覚の持続のなかにある。ロンチェンパは生きている。彼の中にパドマサンバヴァが生きて、語り続けていたように。そしてテルマの現実性も、このような生きた臨在感に支えられているのである。(中沢新一)

Posted by staff at October 19, 2004 02:52 PM