女性的なるものの秘密 1

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 カンリ・トゥカルを訪れるためには、まずツァンポ河のほとりのシュクセプ村に、たどり着かなければならない。この村の名前は、二十世紀になっての女性ラマであるロチェン・リンポチェの活躍によって有名になったシュクセプ寺に由来しているものだけれども、その寺のある場所はもともとはオギャン・ゾンと言って、ディクン・カギュ派の瞑想小屋の立ち並ぶ、修行場のあったところだったと言われている。ディクン・カギュ派はナローパの六法の厳格な修習をおこなうことで知られていて、たどり着くのも困難な静寂の地を求めては、修行場をつくっていった。ロンチェンパがこの地を訪れ、その近くに自分の求めていた理想の土地をみいだすことになったのも、もともとは彼がディクン・カギュ派の人々と、親しいつきあいをしていたからだろう、と思われる。

 麓の村から三時間あまり、急峻な山道を登り詰めたあたりから、シュクセプ寺の全貌が開けてくる。その昔、ロンチェンパがその道を登っていたときも、当時はオギャン・ゾンと言ったその修行場を見上げて、息をつき、ふとその左後方に広がる山腹に目をやったことであろう。そしておそらくは、その山腹の地形に、深い感動をおぼえたにちがいない。なぜなら、そこから見上げた山腹のかたちは、まるで仰向けになって女性が横たわっているように見えてしかたないからである(写真1)。そこからだと、オギャン・ゾンは左の膝のあたりにあたる。すると、まんなかのあそこが心臓部にあたるだろう。おまけにそこには、あつらえられたように、大きな洞窟まであった。ここだ。こここそが、長いこと求めていた理想の土地であるのにちがいない。そう直観したロンチェンパは、カンリ・トゥカルと呼ばれていたそこの洞窟のある一帯を、「ニンティク」の教えの修行の場所と定めたのだ。

 これは、たんなる推測ではない。じっさいに今日この場所に伝えられている伝承によっても、ロンチェンパが選びだした場所は、仰向けに横たわったダーキニーの身体の、ちょうど心臓部にあたると言われている。心臓部に洞窟がある。そして、そこから左右にそれぞれ数十メートルほど離れた場所に、ダーキニーの二つの乳房と言われる泉があり、その泉からは白く濁ったおいしい水が、まるでダーキニーの母乳のように、こんこんと湧き出ている(写真2)。さらにそこを下っていくと、しだいに植物が濃くなって、そこここにはたくさんの小さな洞窟や自然にできた岩の室のようなものが、点在するようになる。この土地を訪れた修行者たちの中には、これらの岩室に籠もって、瞑想をおこなっているものも多いという。

 ロンチェンパははじめ、師であるクマララージャ(シュンヌー・ギェルポ)から伝えられた「ヴィマ・ニンティク」の教えを、完全にわがものとするために、カンリ・トゥカルに籠もったのである。またここで、主著の多くも著された。しかし、ここでおこったもっとも重大な事件は、この地において「カンドゥ・ニンティク」の教えが、彼に完全に開示されたことである。パドマサンバヴァより王の娘ペマサルに伝えられ、教えはいったんイェシェ・ツォギャルの手によって埋蔵されて、いずれペマ・レデルツァルなる人物によって、人の世界にふたたび取り出されることが予言されていた、ダーキニーの心の精髄とも言われる教えが、この土地でロンチェンパの前に、まざまざと自らを開示したのである。

 そのとき、ロンチェンパと彼を取り巻く少数の弟子の前には、ドルジェ・ユトゥンマやエカザティをはじめとする土地の女神たちが、つぎつぎに出現したという。まさにこの大地に横たわるダーキニーの秘密の身体の上で(あるいは中で)、「ヴィマ・ニンティク」からパドマサンバヴァの教えである「カンドゥ・ニンティク」への変容が生じた。存在の如実(ありのまま)をあらわすゾクチェンの説く「法界(chos-dbyings)」の思想は、ここで確実に、女神の存在の様態があらわす「母の界ないし場所(yum-gyi-dbyings)」の思想と結合して、ゾクチェンの教えはいっそうの広がりをもつ、ホーリスティックな性格をおびるようになった。

 パドマサンバヴァは、土地の形状に重要な意味を与えていたのである。彼をチベットに招いたチソンデツェン王が、古くからボン教の聖地であったサムエ(bSam-yas) の地に、チベットではじめての出家僧を住まわせ、学問と修行をおこなわせるための巨大な寺院(サムエ寺)を建設したとき、パドマサンバヴァは自らの拠点を、サムエの北東に広がる山裾の中腹にあった、これも古い聖地であったチンプ(mChims-phu)の地に据えた。

 パドマサンバヴァの宗教者としての活動が偉大なのは、その活動の根っこが、人類のもっとも古くて深い宗教的直感の地層にまで達しているからである。彼はひからびた論理をもてあそぶ仏教学者などでなかったし、インド仏教の正統性に固執する厳格主義者のタイプでもなかったし、最新の精神技術をもてあそんでみせる並のタントリストなどでもなかった。パドマサンバヴァは自分の直感を深く太古の宗教的な記憶からくみ上げ、その思想は広く古代中央アジアに展開していた、真新しい宗教思想に接触交流させていた。その彼がチンプを聖地に選び出したのである。パドマサンバヴァはこのとき、人類の誕生とともに古い来歴をもつ、大地と洞窟と「存在を生み出すものとしての母」の宗教思想のうちに、みずからが展開しようとしている新しい思想の成長していく土台のひとつを、見出していたのだ。

 サムエから急峻な山道を登りつめること四時間、緑豊かな山腹に、チンプはある。私たちはその形状が、カンリ・トゥカルにひどくよく似ているのに驚く。たくさんの洞窟や修行の小屋が立ち並ぶその土地の全体が、まるでダーキニーの豊かな下腹部にのっているといった印象なのである。とりわけその印象は、パドマサンバヴァの浄土である「サンドゥペルリ(Zangs-mdog-dpal-ri)」の名前を冠した岩石露頭群の周辺でいちじるしい。地上に露頭した岩のかたちはどれもなまめかしい形状をともなって、ここが古い大地の女神の聖地であった過去がしのばれる。

 チベット滞在中のパドマサンバヴァが、みずからの活動の拠点にすえ、ヴァイローチャナやイェシェ・ツォギャルやチソンデツェン王自身がたくさんある洞窟のひとつに籠もって、パドマサンバヴァから与えられた教えの体得の励んだというこのチンプという土地の全体が、じつは「母の場所」そのものにほかならなかったのである。ここでパドマサンバヴァは多くの教えを説いた。

 はじめの頃の彼はこのチンプで、「ギュウ・トゥル・タワ(sGyu-'phrul-drwa-ba 幻化網)」タントラ群(ニンマ派ではそれらをマハー・ヨーガとして分類している)の重要な本である『サンワ・ニンボ(gSang-ba'i-snying -po)』に関連した、さまざまな教えをおこなったことが伝えられている。今日に残されている著作としては、『思想の環飾り(Man-ngag-lta- ba'i-phreng-ba)』や『女性的なるものの秘密の行為の心滴(Ma-mo-gsang-ba-las-ki-thig-le 以下『マモ』と略記する )』などが、その時期のパドマサンバヴァの教えの内容を伝えている。とくに、今回訳出を試みた『マモ』では、タイトルにつけられた注記からもあきらなように、チソンデツェン王のたっての願いによって、パドマサンバヴァはこの教えを、おそらくはチンプのタクマル(赤い岩窟)と呼ばれた洞窟の中で、少数の人々にだけ語った。さまざまな存在事物が、水に映った月の映像のような、幻像としてのなりたちをしていることを、その人のまるごとの実存をこめて体得できるようになるために、もろもろの存在事物を、それらを生む「母」とも言うべき「界ないし場所(dbyings)」に溶解しつくしていくための実践の方法を、パドマサンバヴァは彼らに向かって具体的に説いた。

 その教えは、つぎのような内容であったと、記録されている。 続きはバックナンバーでご覧ください

Posted by staff at October 19, 2004 03:10 PM