宮坂宥洪×中沢新一対談 仏教を越えて仏教へ

中沢  最近ときどき真言宗の若いお坊さんたちと話をしてみる機会があります。熱心な若い人たちが多いのには感心するのですが、話しをちょっとつきつめると、ずいぶん悩んでいることにも気がつきます。瞑想とは何なのか、今こうやって自分たちのやっていることには、それをやることにどんな意味があるのだろう。そもそも自分たちは僧侶をやっているけれども、それが何かの役に立っているのだろうか。あるいはもっとつきつめてしまうと、仏教とは何なのか、仏教というものは今自分たちが生きている現代の世界の中でどういう意味をもっているのか。そういうことが本当にわからなくなっているんですね。たぶん昔の若い学僧などというのも、やっぱりそういう悩みは持っただろうけれども、そのときには、そういう問いかけをちゃんと受けとめて、自信のある答えを返してくれたり、一緒に悩んでくれたりする先輩や大先輩たちがいたのではないでしょうか。

宮坂  お坊さんが悩んでいるというと世間の人は奇異に感じるかもしれませんが、現代の仏教界に身を置いている若いお坊さんが悩んでいるというのは、むしろ健全なことだという気がします。歳をとるにしたがって健全でなくなって(笑)、悩みもなくなるかわりに、世間からも相手にされなくなる。このままではいけないという思いが若いお坊さんにあって当然でしょう。僧侶には伝統を継承するという使命があります。でも、若い人たちは納得した上で継承したいと思っているはずです。その伝統の中には本当は深い智恵があって、それは必ずや「自分の生き方」と直結しているはずなのに、その接点がなかなか見いだせないというもどかしさにいらだちを覚えています。ちょっとしたヒントというか、きっかけがあれば十分なのですが。昨年、全真言宗青年連合会の結集で中沢さんと私が講演をしましたが、あれは非常に刺激的だったという感想が寄せられました。端的に言うと、密教に希望を持てたというのです。言い換えれば、これまで希望を語れる先輩僧侶がいなかったということです。これは真言宗だけのことではありません。日本仏教の将来を希望をもって語れる人がどれだけいるか。これは実は深刻な問題です。

中沢  その若いお坊さんたちの話を聞いてみると、宮坂さんのような方はむしろ例外で、たいていの先輩たちはそういう実存の悩みみたいなものには、ちゃんとした答えを与えられなくなっているようなのですね。お坊さんたちの多くが、むしろそういうことは考えないようにして、日々の勤めを過ごしていこうとしていて、そんな問いを投げかけられるとむしろ当惑してしまうという、あんまり仏教らしくない光景が繰り返されているらしい。

宮坂  お恥ずかしいけれども、本当のことです。

中沢  もっと言っていいですか。あんまり愉快な話じゃないでしょう。

宮坂  いえいえ、もっと言ってください(笑)。

中沢  そういうとき、仏教はこの日本で、なんで学問になってしまったのかと、しきりに思うのですよ。ぼくなどが体験的に知っているチベットやヴェトナムなどのお坊さんは、学問も積んでいるけれども、そういう火急の実存の問いが突きつけられたら、ちゃんと実のある答えを与えていました。ところが、大学などで仏教学を教えている方々などを見回してみても、自分の狭い専門領域のことにはまるで「蟻地獄」という生き物みたいに、論争的な居丈高さで立ち向かっていくのに、なんでこのお護摩を焚くのですかなどというような問いが来た時、宗教学の知識みたいなつまらないことしか答えられない。仏教に自分の人生を賭けていないから、学門の世界などで自足していられるのだと僕は感じるのです。宗門の中で自足したり、社会的地位に自足したり、まったく「汝足れるを知れ」の見本のような方たちばかりで(笑)、大欲こそ悟りへの速道という真言宗からいっても、なんとも物足りない光景であることは間違いありません。そういう物足りなさを、若いお坊さんたちは、もっと真剣に感じているのではないでしょうか。仏教に本当に自分の人生をかけていて、そういうところから明快な答えを出してくる人がいないな、ということを痛感します。では、人々はもう仏教のそういうものを求めていないのか、というとまったくそうじゃない。実際にはかなりの人々が、仏教やら瞑想的な宗教やら、あるいはもっと自然な宗教などに関心をもっている。そういう人はたくさんいる。仏教を自分の人生の問題として考えてみたいと思っているのだろうと感じます。宮坂さんとこういう対話を始めてみたいと思ったのは、そういうところからです。

宮坂  なにからなにまでおっしゃるとおりです。私もこういう問題提起は前々から必要だと思っていました。実際、たとえば私ども僧侶というのは型から入るというのがあって、礼に始まり礼におわる、そういう
それはそれでいいのですが、結局型だけで終わってしまっているようなところがある。所作とか作法には本当は深い意味があって、その意味を体験を通して実感していくべきところを、型だけで終わってしまう。昔はもっと時間をかけて修行しましたから、型を繰り返しているうちにわかってくるようなところもあったんでしょうが、今はもうただ単に資格をとるために、ありたけ時間を短縮して修行するようなシステムになってしまっている。よほどの資質と才能のある人でなければ、型のマスターすらもおぼつかないというふうに修行も簡略化されてしまっています。資格をとったあとも心がけて続けていけばいいんでしょうが、地方に帰って実践し続けることはなかなかむずかしい。ところが、若い人たちは、この状況に疑問を抱いてるんです。本山で教わって型はたしかに一通りのことはできるんだけど、じゃあ自分のしていることは何なんだろう、瞑想とはなんの意味があるんだろうといわれたら、答えられない。大きな問題だと思います。


中沢  型から入るというのは、日本文化の特質みたいに思われています。型をきわめていれば、いつしか深遠なところへ入っていける、なんて言われ方もして、たしかに日本の伝統では、型にとても大きな意味が与えられてきました。しかしこの型というものに関して、近世に入っての都市化と大いに関係があると、僕はにらんでいます。都市化というものを一言で言えば、型が根源とのつながりを失ったままで、文化をつくってしまうようなことを言うのですが、そういう世界では、型は発達するけれども、そもそもその型というのはどこからきたものかと聞かれると、もう答えられない世界というか、そういう問いかけ自体を拒否する世界ですね。 型が生まれてきたのはだいたい中世です。中世の時代の人たちに同じ質問をしてみたら、きっとよくわかっていたと思うんです。明快に答えることができた人がたくさんいたはずです。 こう考えてくると、今のいろんな問題というのは、都市化によって、型とか宗教的な表現や思想が生まれてきた土壌から切り離したところで行われていることにあると僕は思うんです。しかも、日本はそういう状況になって長い。長い時間の中で風化してしまった今の型を、もういちど型が生まれてくる土壌に戻してやらないとどうしようもないだろう、と思うんです。 たとえば、例に出すのはお嫌かも知れませんが、宮坂さんのお父さん(宮坂宥勝先生)のことを考えてみましょう。お父さんが生まれた時代、育ってきた時代には、型が生まれてくる土壌や過程への記憶がまだたくさん残っていたと思うのですね。僕や宮坂さんはかろうじて、その記憶のおこぼれにあずかることができましたが、ことによるとそういうことができる最後の世代になってしまうかも知れません。これがもっと若い世代になると、そういうものがいったいどういうところから生まれてきたのかということすらわからない。記憶もないし、感覚もなくなってしまっている。文化伝承(パトリモニー)の危機が、もうそういうところまで進行しているのが今という時代でしょう。

宮坂  歴史は一時たりとも途絶えてはいないわけですが、昔はもっと濃厚な連続性が意識されていた。歴史をすべてとらえることは無理だけど、ある時代まで、たとえば父親や祖父から語り聞いたり教わったりしたことというのは、うんと古いところ、深いところまでつながっていて、すぅっと昔のことを思い出せた。ところが今はそれがないに等しいほど希薄になった。歴史自体は連続しているのだけれども、自分に伝わっている基点の記憶がない。まさに中沢さんにおっしゃるとおりです。そこにうんと現代の危うさというか、絶望的な危機感がある。

中沢  たとえば東儀さんという若い雅楽の演奏者がいて、ハンサムだし、家柄もいいし、ということで文化伝承の美しい象徴のように扱われていますけれども、そこで強調されているのは、型を受け継いでいくことの重要性ということを一歩もでない。そして、その硬直した型と、現代の空疎な型の代表みたいな環境音楽とを結合して、商品をつくろうとしています。おそらくそういうやり方からは本当の創造は何も生まれないでしょう。伝統が安楽死にむかっていくだけです。僕がこの『セム』という雑誌を始めたのも、そういう危機感みたいなものがあったからです。この雑誌は特別にチベットの文化を対象としていますが、単にチベット仏教学の体系やら知識やら歴史やらを、いま主流である学門のやり方で追究していっても、宗教の根源のようなところに接近するのは不可能だと僕は思っています。これがその世界と約二十年つきあってみての結論なんです。表現や思想をとらえるには、宮坂さんのおっしゃった連続性の、とっても深いところまでいかなければ、だめなんですね。とうていつかめないんです。それをつかまえるためにはどうしたらいいか。僕が思うに、チベットの仏教文化というのは、日本も含めたアジアのさまざまな要素を含みつつ、しかもそのなかのとても深い部分にまで達している根っこを持っています。そこまで退却していあなければ、今の危機には立ち向かえないと思っている、そんな危機感がこの雑誌をやらせています。

宮坂  わかります。考えてみれば、「タントラ」という言葉自体がそもそも連続という意味です。

中沢  ええ、そこをつかみたい。

宮坂  糸がずっとつながっているのをたぐりよせていくのが、タントラですからね。

中沢  そういうテーマの対談であればこそ、僕は東京で始めたくなかった。諏訪で始めたかったのです。諏訪は僕にとって子供の時からいろんな関わりがあって、深い意味を持っている土地でした。それに、諏訪という土地の歴史は、中部地域、長野、静岡から愛知、三重、さらには 熊野まで入るような広大な精神的な世界で、数千年もかかって形成されてきました。スワ族と呼んでいいか、原日本人ともいうべき太古の人々の精神的な中心地であったし、その記憶はまだこの土地のなかに生きているように感じます。宮坂さんは、そういう長い歴史を持つ信仰圏の中に生まれて、育った仏教者です。しかも真言宗を学んでこられた。真言宗にはほかのふつうの仏教とちょっと違っているところがあります。はじまりの時点から土着の宗教に深い関係を持っていて、日本人の宗教性の深いところに触れるような性格をもっています。ことによると近代の神社神道なんかよりも、はるかにそういう原型的な宗教みたいなものにつながっているようなところがあります。 日本人がある時期からカミと呼ぶようになったものの原型に「タマ」の霊力がありますが、日本人がこういうことばでこの世界の本質を考えていた時代の精神性は、あんがいこの真言宗に保存されているところがある。神道になるとカミという概念になってしまって、かえってとらえにくくなるこのタマという概念を、弘法大師は仏教の概念をつかってとらえようとしていたのではないでしょうか。僕にはそう思える。そして、日本の真言宗は、非常に古い精神的な地層につながっているし、しかもそれは修験道みたいな、これまた非常に古いものにもつながりを持っています。そういう世界に囲まれて宮坂さんは成長されて、インドへも行かれたわけですね。そしてさらに僕にとって興味深いのは、宮坂さんはインドへ行きながら、決してインド仏教学へすっぽり入ってしまわれなかったでしょう。むしろバラモン教のほうに接近していった。そこには深い意味があると思われます。僕はそのあたりのところを、宮坂さんにつっこんでおうかがいしてみたいのです。

宮坂  歓迎です。

中沢  宮坂さんはインドへ留学して、まあ仏教学の本道から言えば「外道」の学問を学ばれたわけですね(笑)。

宮坂  仏教からみれば外道ですけれども、インドの宗教の本流からみれば仏教こそ支流です。仏教を仏教の側だけからみていたのでは、これはいつまでたっても絶対わからないなと、あるとき思ったんです。これはもっと大きな流れのなかから生まれてきた思想に違いない。それはバラモン教とか、インドの宗教全部なんですけれど、では、そのインドの本質とは何だろうか考えてみたとき、それはインドだけのものというよりも、現代人の記憶の彼方にあるもっと人類に共通した普遍的な根っこから生まれてきたものではないかと、ふと思った。 だから、仏教からだけみて、すでに定型化した諸行無常とか無とかいった言葉を聞いても絶対に人間の本質はわからないし、自分にも迫ってこないんです。そういう思想が生まれてくる基盤、それがアンチテーゼであれ、平行するものであれ、いわゆるインドで本流となっているものを一度勉強しておきたい、そう私は思ったんです。 まぎれもなくインドでは、仏教は本流ではありません。仏教は支流なんです。しかし、支流でありながら、仏教はいいところをついたんでしょうね。最終的に仏教はインドの宗教のいいところをみんな汲み上げてしまった。その成果が密教でしょう。そうすることに成功した。そして、そういう思想だからこそ、仏教はインドを飛び出すことができたと思うんです。ヒンドゥー教はやっぱりヒンドゥーの本流で、インドにとどまってます。しかしヒンドゥー教の思想の深いところをうまく汲み取った、仏教は千年かけてそれに成功したんです。 この方法をもって仏教はインドをでることができたし、中央アジアでも中国でも日本でも国や地域ごとに違う仏教を作り上げてしまった。よく仏教学者は、日本仏教はインド仏教とは違うから本来の仏教ではないという言い方をするけれど、そうじゃない。これが仏教の本質だと思うんです。その土地の習俗なり信仰なり、昔からあるものを否定しない。単に否定とか肯定とかじゃなくて、そこにある本質をうまく体系づけてしまう、そういう方法をもっていたのが仏教だったと思うのです。考えてみれば、シャカ族の宗教というのがそれ自体きわめて古い起源を持つ民族宗教なんだけれども、これをお釈迦様がより普遍的なことばで再構築し、体系づけたわけで、これが仏教のはじめからの本質であり特徴だと思います。

中沢  そこのところをもう少しつきつめてみましょう。宮坂宥勝さんがお書きになった『仏教の起源』、これはとても興味深い本です。この本では、ブッダの思想をインド思想として位置づけるよりも、むしろヒマラヤ山麓地帯のアジア的な民族文化を持った伝統の中で位置づけようとしています。

宮坂  要するに、非アーリア、という。

中沢  そうです。ブッダの思想のインド思想の中での異端性の根元を、ブッダ個人の問題とするのではなく、高原のチベット族とかネワール族とかビルマ族とか、アジアの非アーリア系の文化にまでつなげて考えようとされています。 シャカは、自分の前にいた仏たち、過去七仏のことを語ります。自分の前に、過去にすでに七人もの覚醒者がいる、というわけです。これはジャイナ教の教祖なんかもよく似たことを言ってますが、そういう言い方で、シャカは、自分は土地に根ざした宗教の後継者であるんだ、という意味を強調しようとしているんだ、と宮坂宥勝さんは語っています。そのとき、過去七仏とゴータマを分ける最大の分水嶺はどこにあったか。それは伝統の教えが生まれ育った大地を離れるかどうかということにかかわっている。つまり、過去七仏とちがってゴータマだけが居城を出てガンジス川のほとりへ降りていったのですね。そこでアーリア系の普遍性をめざす世界にふれた。ときあたかも古来の種族社会が解体し、再編成され、いくつかの都市が形成されていく時代だった。そこで、バラモン教の哲学に接近した。ここで非常におもしろい化学反応が起こったわけです。バラモン教はけっして普遍性をめざす思想などではなく、むしろインドの地域性に密着して、それを出ようとしない性格を持っています。地域性・大地性と国際性・脱大地性が、インドの帝国世界に出ていったブッダのまわりで、じつにダイナミックな動きをしめしていたのですね。

宮坂  そうです。ガンジス河中流域を中心とした広域文化圏がようやく生まれつつある時代でした。それがやがて遠いギリシャとも交流を持つ大帝国になっていくわけです。

中沢  ローマ帝国と同じように、インドに形成された帝国は自分のモデルの空間的な拡大をめざしていました。バラモン教の基本はその地方性です。それを拡大する帝国の宗教としていくときに、どういうことが行われたかというと、コピーのばらまきです。同じ原理を広い範囲にまき散らして、文化をその複製としてつくっていくやりかたです。神々のトリアッドみたいなものを、持ち運び可能な形にしていく。これを広い領域に、政治権力と一緒になって移植していくことによって、インドの文明というのを拡大していくやりかた。ローマ文化圏も、ずっと後の時代ですが、同じようなことをしました。円形競技場とかお風呂とか、こういうモデルをもっていって、地中海沿岸に同じモデルを複製していって拡大した。これが帝国モデルです。 ゴータマはこの帝国モデルにふれました。そのときに非常におもしろい化学反応が起こって、ゴータマはインド的な帝国の原理でもないし、自分を育て上げた民族的な宗教でもない、第三の道を開いちゃった。これが、宮坂宥勝さんのお書きになっている仏教史で、僕はこの点をとてもユニークでおもしろいと思いました。

宮坂  そういう風に、きちんと読む人は少ないですよ。

中沢  そうですか。僕は、あの本は非常に革命的だと思っているんです。じゃあ、ブッダの開いたこの第三の道とはなんだったのか、というのが非常に重要です。土地を離れていくということ、ドゥルーズとガタリならこれを脱テリトリー、脱領土化というでしょうが、つまり大地とか領土とかに所属していたものをそこから離脱させて、持ち運び可能なものにしていくというやり方。まあ、今に至るまで、文明というのはだいたいこういう原理を使うものですが、さっきの宮坂さんの考えを借りると、仏教はまず、その土地に生まれなければ意味を持たないという普遍文明的な思想によって、バラモン文明を越えて一種のコスモポリタン文化としての普遍性を獲得したわけです。だけれども、それだけではまだ仏教思想の一面しかとらえたことにならない、というのが宮坂宥勝さんのお考えでした。仏教は長いその成長の過程をへて、約千年の間に、密教みたいなものにたどり着くのです。そして密教にたどりついていくとき、そこには重大な弁証法がおこって、初期仏教的な普遍性・脱大地性はふたたび否定されていく。つまり自分が否定したはずの大地性に根ざす宗教としてのバラモン教のもっとも原始的なもの、人間の自然な感覚に根ざした宗教の原理を自分の中に組み込もうとしたわけです。仏教はいったん大地性を否定し、さらに脱大地性をふたたび否定することによって、宗教として一つの完成形に近づいた、密教にいたってはじめて仏教は完全なものとなった、というのがというのが宮坂宥勝さんのお考えだと、ぼくは理解してきましたが。

宮坂  キリスト教みたいに、あくまでも自分のドグマを押しつけていくという方法ではないんですね。違うんです。仏教は。

中沢  普遍的な宗教の中で、そういうやり方を可能にしたのは、僕は仏教と・・・

宮坂  だけだと思いますよ。

中沢  いや、もう一つあるような気がします。ユダヤ教もそうだと思うんです。ユダヤ教というのは、これも持ち運び可能な地方宗教です。

宮坂  だから、そこから、キリスト教もイスラム教も生まれたわけですね。

中沢  ただ、キリスト教とイスラム教はユダヤ教が持っていた性格を失ってしまったと思うんです。

宮坂  失って作り上げたものですね。

中沢  密教とユダヤ教の神秘主義カバラーというのは、非常によく似た性格を持ってると思うんです。ここの問題は、これから大いに研究していかなくちゃいけないでしょう。ところで、こうした仏教の発展過程への理解というのを、宮坂さんはどう思いますか?

宮坂  まったく同感できますよ。ただ、これまでの仏教学のなかにはそのような視点がありません。

中沢  そこでお伺いしたいのは、ガンジス川のほとりに出てきてバラモン教の宗教や哲学にふれたゴータマが、自分の民族的な宗教・思想を抱えながら、そこで決定的な飛躍を行った。この飛躍の本質は何だと思いますか?

宮坂  いちばんおもしろくて、むずかしいところですね。

中沢  そう、いちばんむずかしい。僕は、この点について、仏教学者たちは答えてないような気がするんです。

宮坂  おっしゃるとおりです。すべてが必然の流れであったかのように、仏陀の伝記を解説しているにすぎません。そして、伝記の中のどれが事実であり、どれがフィクションであるかという、ほとんど実りのない選り分けだけに意を注いでいる。 そうじゃなくて、本当はもっと深い意味があるところで、これこそ仏教という宗教を決定づけたものであるわけです。ですが、その本質というのはどういうものかといえば、どうやらそこのところは、まだはっきりしていませんね。

中沢  そうです。これだけ仏教学が発達しても、そもそものゴータマの思想っていうのは、まだはっきりとつかまれていないように思うんです。

宮坂  その原理っていうのはたぶん、いつの時代でも、どの地域でも、発揮されてきたんだと思うんです。それはたぶん、空海もやったことだろうし、チベットでもやったこと。でも、そうした本質的でダイナミックな原理は文献の中に記されているわけではありませんから、近代の仏教学は無視してきたし、気づこうともしなかった。しかし、最も肝心なことが問われてもいないというのは、まことに心許ない話です。

中沢  たとえば、ゴータマ・ブッダの思想っていうのは、イエスとは違ってまして、イエスの場合にはイエスという非常に個性的な人物がいて、彼の革命的な思想と人生、ことに人生の劇化(ドラマタイゼイション)によって巨大な物語が発生し、ここからキリスト教というのが発生した。だけどブッダというのは、イエスのような個性とか人格性とはあまり関係ないところで成長したものだから、ゴータマ・ブッダがいなくても、放っておいてもああいう宗教は発生して成長したんだという考え方があると思うんです。放っておいてもインドの中で生まれたはずだという考え方。 本当にそうだろうか、というのが僕の疑問なんです。たとえば、ジャイナ教のマハービーラの思想とゴータマの思想は、だいたい同じものだ、という言われ方をする。僕には、そうは思えないんですが。

宮坂  決定的に違いますよ。だからこそ、ジャイナ教はあくまでもインドの宗教だったんです。

中沢  そうですね。でも、なにが決定的に違うのかということを、もっと明瞭に表現する必要があるんじゃないでしょうか?

宮坂  そこは最大のポイントです。ジャイナ教と仏教は確かに非常に似ている。言っていることも似ているし、発生基盤も似ているし、その後の展開も非常に似ている。でも何かが決定的に違う。それは、やっぱり、ゴータマ・ブッダの個性でしょうね。

中沢  たとえば、ジャイナ教の場合は、商人階級に支持されて、インドのブルジョワジーの宗教になりました。仏教も、ある意味で言うと、ブルジョワジーに支持された。何人かの王にも支持された。それによって、仏教の場合は、非常に国際性、普遍性を獲得して、インドという地盤を出ていくことができた。ところがマハービーラの宗教はそれを行わなかった。

宮坂  できなかったですね。 ブッダの時代に、デーバダッタ(提婆達多)という人がいます。デーバダッタの教団や、デーバダッタ自身は仏教の反逆者みたいに思われていますけど、本当は違います。

中沢  そうですね。

宮坂  玄奘三蔵がインドを訪れたとき、デーバダッタの教団があったと報告しています。仏教の正史の中から消えてしまった幾つかの仏教の流れがあったことは確かなようです。一種のジャイナ教みたいな、仏教の中のジャイナ教みたいなものがあったんじゃないでしょうか。

中沢  非常にまともな宗教だったんじゃないですか?

宮坂  たいへんまともです。ある意味では、インド人からみればごく真っ当で、戒律も厳しく、仏教も本来ならこうじゃなきゃいけないというくらいの教団です。 ところが、仏教はそういうスタンスをとろうとはしなかった。

中沢  それは、サンガの作り方でしょうか、それとも、個体性の否定とか、そういう思想的なものでしょうか?

宮坂  思想的には大乗に展開していくようなかたちはジャイナ教にはみられません。そういうことも含めて、ひょっとして、仏教って案外いい加減だったのかもしれませんね。

中沢  大胆ですねえ(笑)。

宮坂  「これはまあ、いいよ、いいよ」といってしまうようなところがある。インド旅行で買い物なんかをしてインド人に接した日本人は、インド人とはなんて大ざっぱでいい加減なんだろうという印象を持つようですけれど、実は非常に厳格な人たちなんですよ。なんでもつきつめていって、もうこれ以上はつきつめられない、というところまでいく。ところが、仏教というのは反インドでやってきて、インドの本流に反対しながら、思想的にも徹底的につきつめてるんだけど、最終的に「もういいよ」と受け入れてしまうようなところがある。そんな気もします。

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Posted by staff at October 31, 2004 08:12 AM